サッカークラブのつくりかた #4 「TOKYO CITY F.C. 3度目の都リーグ3部挑戦」編
約2年ぶりに更新する「サッカークラブのつくりかた」シリーズ。
調子が良い時は筆が進み、悪い時は筆が重い。
2年間更新が無かったのは、まさに後者の極みでした。
クラブ創設3年目・4年目の話
2014年に創設した TOKYO CITY F.C.(以下CITY)は、
日本サッカー界のピラミッド最底辺である市区町村リーグの4部からその歩みをスタートさせました。
1年目:世田谷区4部リーグ優勝・コパセタガヤ優勝
2年目:東京都4部リーグ優勝
と順調にステップアップし、
クラブ創設3年目となる2016年は東京都3部リーグに戦いのフィールドを移しました。
CITYの創設メンバーは自分を含む3人でしたが、
3人がそれぞれスポーツビジネス(サッカービジネス)に関わるメンバーで、
日々の仕事をしながらも、「もっと若者に刺さるカッコ良いクラブをつくりたい」という想いからクラブを立ち上げ、
特にオフザピッチの仕掛けに拘りを持ちクラブ運営に取り組んできました。
※クラブ立ち上げの経緯や過去の取り組みなどはコチラのアーカイブ記事を
・サッカークラブのつくりかた #1 TOKYO CITY F.C. 立ち上げ編
・サッカークラブのつくりかた #2 TOKYO CITY F.C. 都リーグ参入編
・サッカークラブのつくりかた #3 TOKYO CITY F.C. 都リーグ4部優勝3部昇格編
ビジョンの明文化
3シーズン目に入るにあたり、まず手をつけたことはクラブとしてのビジョンを明文化することです。
クラブ創設メンバーを中心とした運営メンバー・その運営メンバーと親交が深くCITYのことを理解した上で一員となってくれた選手。
創設からの2年は組織規模が小さく明文化せずとも分かり合えていた関係だったかもしれないですが、
これからより高めを目指す上で、CITYとして大切にする共通認識を改めて擦り合わせようという意図です。
そのような経緯から改めて浮かび上がった「PLAY new FOOTBALL , PLAY new TOKYO」というビジョン。
コンセプトを体現するためのクリエイティブもリニューアルし少なからず反響を頂きました。
数々のJクラブの #エンブレムモーショングラフィック を手掛け、SNS上で話題を呼んでいる鑓田佳広様( @y_yarita )にご協力いただき、今回の新エンブレムのモーショングラフィックを作成して頂きました! ! #CITY2016 pic.twitter.com/5jF8YNl7s4
— TOKYO CITY F.C. (@TOKYOCITYFC) 2016年3月1日
FOOTBALL MANAGEMENTへの着手
主にオフザピッチの取り組みにご注目いただき、
シーズン開幕のタイミングで取材をして貰ったのですが(トーキョー・シティを、フットボールで遊べ!/ TOKYO CITY F.C.【DEAR MAGAZINE】)、
このインタビューの最後でも言及している通り、オフザピッチのことだけ頑張れば良いかというと、それは絶対に違くて、
そろそろ、Football Management 、いわゆる強化とかオンザピッチの分野も整え、
オンザピッチ・オフザピッチ双方が高いレベルで作用するクラブを目指しオンザピッチへの改革にも着手し始めました。
具体的に取り組み始めたことは、
・外部監督の招聘(リリース▶︎「三浦行広氏 監督就任のお知らせ」)
・新戦力の補強(HP上でも選手を募集した結果全く初対面の選手がチームに加入してくれました。名だたる経歴の選手が増えました)
・定期的な練習の実施(毎週日曜日はチームの練習日として設定し練習でさえ30人ほどが集まるようになりました)
などです。
他にも細かいことを挙げればキリが無いですが、
CITYとしては大きな変革をして満を持してシーズンに臨みました。
挫折
しかし、オンザピッチの部分、試合に勝つ、という部分は自分たちが思っている以上に難しいことでした。
必勝態勢で臨んだ2016シーズンですが開幕から4試合勝利なし。
結局、自力での優勝の可能性は消滅し、シーズン半ばにして昇格を逃してしまいました。
「負けに不思議の負けは無し」とは野球界から生まれた格言なのかもしれませんが、
CITYにとって”初めての挫折”とも言えるような、そんな経験をしました。
特に負ければ昇格の可能性が無くなるという背水の陣で臨んだ「東京U23戦」の引き分けは、
ピッチ内のことだけでなくクラブとしての力の差を痛感させられた試合でした。
試合の後、自分のFacebookにこう書き記しているのですが、本当に悔しかった。
東京23のセカンドチームとの大一番を勝ちきれず、都2部(J8)への昇格が現実問題として厳しくなってしまいました。
クラブを立ち上げてから3年、トントン拍子で進んでいただけに初めての挫折、なのかな。
試合は引き離しては追いつかれるシーソーゲームで2-2の引き分けだったけど、
相手クラブの、サポーターさんの存在や、トレーナーさんやサポーティングスタッフさんなどの層の厚さ・体制といった、クラブとしての総合力の違いを痛感させられた。
今シーズンは Football Management 部門(強化部)が機能し出して、外部から監督が入り、有名校出身の新加入選手が仲間になり、練習の強度もとても高くなって、既存の選手ともピッチ内外良い雰囲気で融合して、自分達が考えられる最高の準備はしていたつもりだけど、それでも全然足りなかった。
本業柄どうしてもオフザピッチの部分、クラブのマーケティングの部分ばかりを考えがちになってしまうけど、オンザピッチの部分、勝ち切って上のカテゴリーに上がっていくって本当に大変。何を今更って感じだろうけど。そしてその世界には百戦錬磨でそこに賭けてる人たちがオフザピッチの世界同様或いはそれ以上にうじゃうじゃいるっていうことも。
“PLAY new FOOTBALL , PLAY new TOKYO ”を標榜するCITYは、デジタルマーケティングに力を入れて、ミレニアルズにとってカッコいいと思える、今までに無いクラブをゼロから作ろうとしているけど、
やっぱり強くないとカッコいいわけがない。
スポーツビジネスの世界では、勝っても負けても応援してくれるチームになるべきだ、っていうのが定説だし、それは間違いないと思うけど。
けど、やっぱり強くならないと、CITYを通して発信したいメッセージも伝わらない。
あー悔しい。
時間が掛かる果てしなく長い道のりだっていう覚悟はもってるけど、超悔しい。
もっともっとクラブとしての総合力をつけていかないと。
今日の経験が出来て良かったと、そう思える日を出来るだけ早く迎えられるようにしないと。
くやし。
選手としての立場
個人ブログなので自分の話も少々。
自分自身はクラブの創設者であり、代表という立場でありながらも、過去2シーズン同様2016シーズンもプレーヤーとしてメンバー登録をしました。
2015シーズン、リーグ最終戦で足首の靱帯を怪我してしまい約4ヶ月プレー出来ない日が続き、なかなかコンディションが上がらない中でポジションも奪われ、試合への出場機会も限られるようになりました。
同時に、Jリーグ・Bリーグ・侍ジャパンなど様々なスポーツのデジタルマーケティングをお手伝いさせて貰っている本業が、(幸いなことに)大変調子良く、忙しくなり、
スポーツビジネスあるあるとも言えるのですが、土日の仕事が重なり、シーズン開始時に定めた定期練習になかなか参加をし辛くなりました。
また数多く加入した新加入選手を含む選手との付き合い方にも変化がありました。
選手の編成やトレーニングなど強化に関することは Football Management Team(強化部)に権限移譲しましたが、
それでも最終的に矢面に立つべきは代表であり、時と場合によってはとことんドライになる必要もあると思っています。
そんなことを考えていると、今自分はプレーヤー なのか、クラブの代表なのか、立場が曖昧になり、局面局面で難しいケースが増えてきました。
最終的に下した結論は、「トップチームのプレーヤーとしては引退し、クラブの運営に専念すること」でした。
もともとクラブを立ち上げた時の理由として、「自分たちのような都心で過ごす若者が気軽にサッカー出来る環境を作りたい」という思いも確かにありましたが、それよりも「PLAY new FOOTBALL , PLAY new TOKYO 」のビジョンに表れる、「ミレニアル世代にとってカッコいいクラブを作りたい」という思いの方が強く、
それを実現するためには、どう考えても選手としてより代表として運営を頑張る方が近道だと判断したからです。
代表に専念して臨んだ2017シーズン
代表という立場に専念した2017シーズン。
自分がプレーヤーという立場から一線を引いたことで、初めてチームを客観視出来るようになり、選手補強をはじめチーム強化に関する様々なアプローチを行いました。
この頃には練習も週に1回は確実に実施出来るようになり、チーム力は着実に増して来ました。
シーズン開幕戦の5-0での勝利を皮切りに、その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで8連勝。
オフザピッチにおいてはコラボさせていただく案件が増え、
「スポミ」の略称で毎回約30人の方にお越しいただいた「TOTKYO CITY SPORTS MEETING」では、
- 第1回: “スポーツ界のゴールデンエイジを駆け抜けろ”
- 第2回: “新卒 or 中途 スポーツビジネスへの勝負時”
- 第3回:“パートナー企業として携わるスポーツビジネス”
- 第4回:“元Jリーガー市議とスポーツ庁若手官僚が語る「スポーツと街づくり」”
と題してミレニアル世代を対象としたスポーツビジネスにおけるトークセッションを開催し、
第2回ではFC東京・湘南ベルマーレのスタッフの方に、第3回ではNTT・朝日新聞の方に、第4回ではスポーツ庁、そして元浦和レッズのGKで現さいたま市議の都築さんに登壇いただきました。
また、6月のFリーグ開幕戦では、「プロカメラマンがSNSのプロフィール用写真を撮影する『プロ写』」企画を実施したり、
川崎フロンターレのホームゲームで、ファン参加型アクティビティのプロデュースを行わせて頂いたりもしました。
というように、各プロジェクトともそれぞれに担当者がおり、
プロジェクトベースで紆余曲折はありながらも活動の幅を徐々に徐々に広げられるようになりました。
これまでは自分たちの中で完結するようなイベント・施策が多かったのが、
だんだんと外の世界へと広がって来た。そんな感覚を得る機会が増えました。
シーズン途中での監督退任
このようにオンザピッチ・オフザピッチの両輪がようやく噛み合い出したかな?
と手応えを感じながら進んだ2017シーズン。
しかし、またしても三部優勝・二部昇格に手が届きませんでした。
立ちはだかったのは慶應BRB。天皇杯歴代最多となる8度の優勝経験を持つ、慶應義塾大学サッカー部のOBチームはやはり地力がありました。
万全の準備をしてBRB戦に臨みましたが結果は1-4の完敗。この試合結果を受け三浦監督が退任。昇格出来なかったという結果とともに、シーズン途中での電撃的な監督退任という出来事にチームには衝撃が走りました。
三浦監督は、2016シーズンから1シーズン半に渡りチームを率いていただきました。最後の別れは残念な形となりましたが、感謝の気持ちは尽きません。昇格こそ出来なかったもののチームの意識は格段に高まりました。それだけに退団の申し入れがあり、幹部メンバーで検討し、正式に退団のリリースを出すまでの数日は本当に長く苦しい時間でした。
サッカークラブを運営していると最後の別れというものは大抵思っていた通りの形で訪れません。
仕事の都合や家庭の事情でサッカーを続けられなかったり、出場機会確保のため移籍をしたりという選手の退団時もそうですが、これは何回経験しても気持ちの整理に少し時間がかかってしまいます。
この頃より少し先のことではありましたが、共にクラブを創設した副代表との別れも、思いもよらない形で訪れました。
昇格を逃し、監督も変わり、選手のモチベーションも下がり(一時期はほぼ全員が参加していた練習もこの頃は5人しか集まらないということもありました)
順風満帆に自信を持って進んでいるように見えたからこそ、期待があったからこそ、そのショックも大きなものでした。
リスタート
ただ試合に負けたからといって全てが終わるわけではないですし、そもそもCITYは「PLAY new FOOTBALL , PLAY new TOKYO」というビジョンを掲げており、勝利を目指すだけのチームではありません。
もう一度ビジョンに立ち返った結果、必要だったのは改めてトップチームの位置付けと存在意義です。
信じられないかもしれないですが、運営メンバーの間ではうんざりするくらい「なんで勝つ必要があるんだっけ?」という議論を交わしました。
「なんで社会人にもなって趣味のサッカーなのに辛い練習するんだっけ?」「なんで土日に遊びにも行かず1日潰してまでサッカーするんだっけ?」
勝っているとき、上手くいってるときには、当たり前過ぎて気にならなかったようなサッカーをする理由も、改めて問い直しました。
その中で出て来た結論が、
・トップチームはクラブビジョンの一番の体現者である
・トップチームを強化することはCITYに接触する人を増やす上で大きな意味を持つ
という2点です。
前者は文字通りですが、トップチームでの活動が「PLAY new FOOTBALL」というクラブビジョンの一部を表すものであってほしいという願いです。PLAY new FOOTBALL サッカーの楽しみ方には色々ありますが(色々な楽しみ方をCITYでは作っていきますが)、トップチームでは大人になっても本気でサッカーに打ち込む、そのプロセスが「PLAY new FOOTBALL」であると定義づけました。
後者に関しては、スポーツの特性かもしれません。都三部で勝つより、二部のチームに勝つ方が。二部より一部に勝つ方が。注目してくれる人の数が増えますし、メディアからの注目度も上がります。天皇杯を勝ち進んだ「いわきFC」が良い例かもしれません。CITYに接触する人を増やす上でもトップチームを強化することは重要なのです。
というわけで、長く苦しい時を経てトップチームの位置付けがようやく定まりました。
そして、同時並行でJクラブでの強化職を経験してきた深澤さんをGM兼監督として迎え入れ、新たなスタートを切ることになります。
トップチームの位置付けを決めるにあたり、仕事として強化職の経験がある深澤さんに関与して貰えたことは大きく、クラブ創設4年目にして、ようやく真の意味で「強化」がはじまりました。
東京カップでの躍進
ほどなくして始まった東京カップ(天皇杯東京都予選)では、思いがけない躍進を果たしました。
三部同士による一回戦に勝利すると、二回戦では二部所属の東京消防庁を、三回戦では一部所属の三菱商事を破り、ブロックのベスト8まで進出することが出来ました。
準々決勝ではアストラ倶楽部に0-3と完敗しましたが、深澤新監督の就任以降ベンチマークとしていた大会で躍進出来たことは大きな大きな自信となりました。
3度目の都リーグ3部挑戦へ
2年間の出来事を1記事にまとめようとするのには限界がありましたが、もう少しで今回のブログも終わりです。w
前述して来たように、この2年間もまた紆余曲折、様々な出来事がありました。
ですが、これらはクラブの足腰を強くし、ビジョンに向けて進んでいくために必要な長く苦しい二年間だったように思います。
この春、3度目の都リーグ3部への挑戦が始まります。
都リーグ3部は12チーム6ブロックで争われ、各ブロック優勝チームのみが昇格を果たせるというレギュレーションです。
要は、基本的に1敗も許されず、全ての試合をトーナメントの気持ちで戦わなくてはなりません。
3度目の都リーグ3部挑戦にあたっての取り組みとしては、
- トップチームにおけるサッカーの楽しみ方を定義付けた(プレーする環境がほしい・エンジョイしたい人はSHIBUYA CITY F.C.というエンジョイチームに受け皿を作りました)
- 練習回数を週2回に増やした
- トライアウトを実施し、60名の選手に参加してもらった
- 練習試合ではカテゴリーが上のチームとの試合を基本とした
- 選手獲得にWantedlyを使ってみた(「サッカーも仕事も遊びも全力な絶対的ゴールキーパーWanted!」)
- 新体制発表会を企画してみた(「スポーツと光のアートが融合する「世界初」の体験型イベント#ヒカサカ 開催」)
- 海外遠征第二弾として台湾遠征!
などなどなど。
2018シーズンの開幕は最速で3月下旬ですが、そこに向けオンザピッチ・オフザピッチともに様々な企画を立て、実行してきました。
正直、勝てるかどうかは分かりません。
でも、間違いなく言えることはクラブビジョンに向け、オンザピッチ・オフザピッチともに歩みが早まって来た。その感覚だけは確かにあります。
ビジョナリークラブであれ
この2年間、苦しい出来事の方が多かったですが、苦しい時こそビジョンを大切に、「ミレニアル世代にとって魅力的なクラブ作り」を推進してきました。
Jリーグが先日発表したデータ(Jリーグ史上初、観戦者が若年化の要因。映像制作著作権の移行で可能になったSNS戦略)によると、Jリーグを観戦するお客さんの平均年齢が史上初めてマイナスに転じ、若年層の獲得が進んで来ましたが(非常に喜ばしい!)、
まだまだミレニアル世代(若年層)の獲得は日本スポーツ全体を通しての課題です。
ミレニアル世代にとって、スポーツをすること観戦をすることを日常の遊びの選択肢にすること、CITYはそのためにビジョンを大切に取り組みを続けて来ました。
CITYを通して出来ることは少ないし、うまくいかないことの方が多い僕らが何を言っても、説得力が無いかもしれないのですが、
仲間内だけに留まらず、本気でクラブを運営していく上では、やはりこのビジョンこそが最も重要なものと感じます。
これは自戒を込めてですが、ビジョンを内外に発信していくことは多くて悪いことは無いのでしょう。
「こういうクラブにしていきたい!」という思いは、選手を獲得する上でも、集うメンバーのエンゲージメントを高める上でも、とても大切なものであると痛感しています。
さぁ、2018シーズンはどんなシーズンになるのでしょうか。
オンザピッチ・オフザピッチともにやれることはやったつもり!でも、まだまだ出来ることはあるし足らない!
おそらくこんな状態が一生続くことになると思うのですが、でもやはり自分ごと化して喜怒哀楽を味わうことが出来ることが日常にあるのは、日々の景色が全く変わって見えます。
2018シーズンは、筆が進むのか、止まるのか。
新たなシーズンの3度目の都リーグ3部挑戦の結末やいかに…
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はじめまして
東京シティ様の活動をブログを通して拝見し
感銘を受けメッセージを送らせていただきました
わたしは20数年前に大学卒業とともに神奈川県に引っ越し横浜マリノスを応援していました
越して来た当初は近くに知人がおらず仕事以外の時間は孤独な時間が続いていたのですが
好きだったサッカーの試合を見に行ったことで徐々に知人が増えていき
神奈川での新生活が有意義なものとなりました
なぜわざわざこのようなメッセージを送信させて頂いたかというと
皆様が目指されている【若者にとって魅力的なクラブ】という指針がこれからの日本社会において極めて重要な意味を持つと考えているからです
Jリーグクラブをはじめ多くのスポーツクラブが地域密着を謳って活動しておりますが、
地域という視点だけではく人という視点に着眼し人と人を結びつけようという貴クラブの発想に感銘を受けております
少子高齢化が進むこれからの日本社会において若者たちの社会参加促進は避けて通れない命題です
未来へ向けて貴クラブが目指されているような若者と若者を結びつける場づくりというものは
大きな意味を持つことかと勝手ながら想像をしておりました
かつてわたしが横浜マリノスの会場で見ず知らずであった若者と出会い意気投合し仲間となっていたように、です
ぜひこれからも【若者にとって魅力的なクラブ】つくりをすすめ、
わたしが味わったような、人と人を結びつけるそんなチームを目指していただければと存じております
地域を盛り上げることも大切ですがもっと大切なことはそこにいる人間たちです
突然の不躾なご連絡失礼いたしました
今後も陰ながら貴クラブの発展を応援しております
なお、ご返信は無用ですのでお心遣いなく。